自分を苦しめた自分へのルール
私が社会に出る時に決めた心得があります。
”郷に入っては 郷に従え”
【意味】:ある組織に属した時は、その組織の規律に従うべきだということ。
「従業者は”従え”、悔しかったら起業しろ!」
これが私の
”社会人の心得”だったのです。
こうなってしまったのも、
もともと起業することが夢で、
*動物病院開業が私のもともとのプランでした。(#^^#)
実際は、雇用される側になってしまったために、
「経営者への尊敬」が強く出てしまいました。
だから、
「雇ってもらえているんだ」
➡「役に立たないといけない」
➡「自分の意見は言わない」
➡「やりたいことがあっても、諦めて従う。」
”郷に入っては 郷に従え”
っとなってしまっていました。
これは、
”従う”か”起業するか”の
二択しか選択肢のない私のルールです。
みんなが優先:自分を不幸にする
本来、
雇用者と従業者は、
「お見合い」
と同じで対等でいいいといわれています。
”win win”の関係。
・ほしい人材
・活かしたいスキル
この関係がベストです。
有名なピーター・ドラッカーの言葉にもある「適した職を得て力を発揮する。」
働く:自分の力を発揮して、「役」を全うする。
この「適材適所」がベストなはずなんです。
しかし、私は、
働く:みんなの為にとにかく尽くす。
という奉仕心で仕事をしてしまいました。
これが、苦労する始まりだったのかもしれません。
・ここで働けて自分も嬉しい
・ここに来てくれて雇用者も嬉しい
そんな関係でよかったんじゃないかと。。。
人は始めは
「ありがとう」で始まりますが、
こっちが当たり前にしていくと、
「やってもらって当たり前」になっていき、
いつしか「物足りない。もっと、もっと。」
と欲を悪気なく押し付けてきます。
”報われない、服従。”
喜んでもらっているというより、
「無理を受けてくれないと困るな。」
と、圧力で従いはじめた。
顔色をうかがって。。。
なんかそんな感覚でした。
抜けない”心得”からの脱出
今の職場でも、同じようなことが起こりました。
言われたことに従えば、
「よく言うこと聞いてくれて助かる」
と、
「私が、敵じゃないことを伝えることができている」と
私は安心してしまっていました。
しかし実際は、
「こいつコントロールできるやつ!やった!」
っと思われてしまったのでしょうか。
嫌がらせが始まりました。
・嘘の情報
教えてもらったやり方をその通りにしていたら
「あの子、こんなことするやろ。せんでええねん!」
・言い間違いも私のせい
私が、聞き間違えなないように、メモを取っていたのですが、原本と食い違いがあり,
「○○ってことじゃなかったですか?」と問うと、
「ゆったで!聞き間違いやわ。」と責められた。
こんな感じで、
「ちゃんとしよう」と自分を正すことばかり考えていたら、
「コントロールしてやろう」と、狙われるみたいです。
まさか、相手が嘘を言ってくるとは想定外でした。
「ちゃんと従っているのに。なんで・・・?」
これが”私の心得”の”矛盾”にやっと気づいた瞬間です。
「従う相手を見極める」
この当たり前に何年もかかってしまいました。
間違った思い込みは、逆の立場で考える。
とにかく「上」の人には従う。
と勝手に自分が決めてしまったルール。
根拠のはずの「尊敬」がいつのまにかどこかへ行ってしまっていて、
「とにかく服従」にまでいつの間にか行きついてしまっていました。
よく考えてみれば、
「私だったら・・・」
私が今まで「上」の立場の時に、
そんな「服従」は求めていませんでした。
それなのに、
なんで自分は、「服従するもの」と思ってしまったのか。
・・・「すべては、自分のルールに問題があった。」
そのことから、
・対等を意識する
・お互いを尊重する
・「みんな」ではなく「私は」
それと、
心得は”適材適所”に変更です。(#^^#)
働く:「”私の力”を発揮させてくれる場所で、発揮すること。」
*出来ないことは「周りの力を借りて感謝」する。
あと、
・「従ってみたい人」を見つけたらその通りにやってみる!
・”自分の目を鍛える”
その必要がありそうです。(#^^#)
知らない間に自分を苦しめているルールがあることに気づけたら、
また、新しい道が開けてくると思います。
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